「旅行の友」物語
そもそもは?
一般への販売はいつ頃?
「旅行の友」の名前の由来は?
「旅行の友」のデザインはいつ頃から?
今の味付も昔どおり?
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◆そもそもは?
大正初期、漬物を納めていた陸・海軍より「持ち運びに便利な栄養価の高い保存食を・・・」と新しい食品の開発を要請されました。当時の一般的な食生活は栄養不足気味であったこともあり、また、「軍人である一人息子が戦地で頑張っており、食べるものに困らないように・・・、栄養価の高いものをいつでも美味しく食べてもらいたい・・・」という子を思う親心と愛情から、様々な創意工夫の中で生まれたのが小魚のふりかけ「旅行の友」です

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◆一般への販売はいつ頃?

軍に納めたところ上々の評判を頂いたことから、この栄養豊富で美味しい食品を是非とも皆様にも味わって頂きたい気持ちから、同じ大正時代の初期に一般への発売を開始致しました。
 ちなみに、その時の容器はスチール製の缶で本体と蓋の部分に分かれ、それぞれの上部に直径約5mmの穴が開いていて、蓋を回すようにずらしそれぞれの穴を合わせて振れば、缶の中のふりかけが出る仕組みになっていました。

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◆「旅行の友」の名前の由来は?
当時の弁当のオカズと言えば梅干、たくあん等の漬物を中心としたもので、栄養価も決して高いとはいえませんでした。そうした中「旅行の友」は栄養豊富、食べて美味しい、持ち運びに便利と三拍子揃った食品として重宝されました。
 そうした商品であったことから、旅行などの弁当へいつも手軽に使って頂きたい気持ちと、また、創業者である田中保太郎の妻の名前が“トモ”といい、創業者自身の出張する機会が多い中で商売と家事を両立してくれた妻への感謝の気持ちを込め、旅行とトモをもって「旅行の友」と名づけられました。

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◆「旅行の友」のデザインはいつ頃から?
発売当初のデザインは、「旅行」のネーミングにちなみ蒸気機関車をモチーフとしたものでした。
 現在のデザインは、青地の原色を使った切符をモチーフとしたもので今から50年前の昭和29年(西暦1954年)から使っており、当時としては画期的なデザインでした。昔からよく目にした馴染み深いものでありながらも新鮮さは変わらず、時代の流れを感じさせない事からもそのことが伺えます。
 デザイナーは故:大智(おおち) 浩(ひろし)氏で、氏は1908年に岡山県でお生まれになり、1938年東京美術学校図案科(現在の東京芸術大学美術学部)をご卒業後大手食品メーカーの広告部に勤務。1949年に大智浩デザイン事務所を開設されフリーとなる。海外のデザイナーとの交流も深く、1954年にアメリカを皮切りにヨーロッパ各地を視察され、1955年には日本人初のAGI(国際グラフィック連盟)メンバーとしてパリでのAGI展に出品されるなど、日本グラフィックの国際的評価を高められました。また、1974年にお亡くなりになられるまで、東京教育大学をはじめ多くの大学講師を務められ、教育者としても多くの優秀なデザイナーを育ててこられました。

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◆今の味付も昔どおり?
ふりかけは、日本人の食生活などの変化とともに日々進化しています。
 「旅行の友」開発当時は『魚粉・ゴマ・アオサ』の材料で栄養価に重点を置いていましたが、嗜好の変化、味覚へのこだわり、安全性の追及など、時代の要請あるいは変化とともに商品開発・製造方法なども変化し、現在ではそれに『玉子粒・海苔』をブレンドするとともに調味料を当時の約半分程度に減量しています。
 しかし、一つだけ昔からまったく変わらないものが有ります。それは、常に厳選した本物の素材にこだわり続けている事です。すなわち、安全でいつでも美味しく安心して食べて頂けるふりかけを造ることであり、それは タナカの <ふりかけ> 全てに共通する田中食品の原点ともいうべきものです。

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田中食品株式会社
≪本社≫
広島県広島市西区東観音町3-22
≪TEL≫
082-232-1331(代)



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